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4月7日 顔の下半分 [2023年 日記]

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毎年、この時期になるとテラスのモッコウバラが勢いよく薄い黄色の花をたくさん咲かせる

近くに行くと圧倒的な甘い香りにクラクラしそうになる、虫たちもたくさん集まって飛び回るのに大忙しだ。数がたくさんあるので嬉しいことだろう

けれど咲いている期間はそう長くなく、せいぜい二週間くらいか
花が散って少しばかり見栄えが良くなくなる頃にはもう暑くなってくる、熊本の春は暑かったり寒かったりでちょうどいいというのが少ない

先日はまた運動公園を走った、もう桜は見納め、夕方になると長袖か半袖か迷うような気温だ
時間があったこともあり、4周7.5km、50分、キロ6分45秒

先月からマスクの着用が個人の判断に委ねられるようになった。意外と外さない人も多い
職場ではパッと見たところ半分くらいの人が外すようになった

久しぶりに顔の下半分を見る人もいる、記憶の中の顔と全く同じだったり、マスク期間中に美化しすぎていた人もいたり
今後は、知っているのに初めてお目にかかる顔の人もいることだろう、楽しみだ


3月22日 新月 [2023年 日記]

新月を見る、と言うと矛盾があるが、今夜の新月は曇りで見ることができなさそうだ
あ、太陽と方向が同じだからそもそも見えないか

運動公園を走った

熊本県民総合運動公園、なかなか設備の整った施設だ

一周2kmを2周と半分で5km、キロ6分30秒

夏日となった今日、半袖にして来なかったことを後悔しつつ、とは言え走っていない時は風が冷たいこの時期、花冷えとはよく言ったものだ

気象台の桜開花宣言は今日だったが、既にコース沿いの桜は見頃だった

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3月21日 退場 [2023年 日記]

本棚を整理していて昔の写真が出てきた。整理そこのけで見入ってしまう、よくあるパターンだ

とにかく自分が若々しい、自分でそう思うのだから他の人が見たら仰天するレベルかもしれない
少なくとも平時には見せない嬉しそうな表情で芯から驚いてくれそうなのは間違いない

当時の自分ではそんな事はひとつも思っていなかっただろう数々の事柄が浮かぶ

これから永遠に命が続くとでも思っているような無垢な表情
今ではそんなポーズをするなど思いつきもしない、思いついても意味ないことと動かない
楽しそうに仲間や先輩たちと歓談する
ややかしこまった仕事先での、なかばフォーマルでありながらもくだけ気味なシーン
数々の仲間を見送った送別会、自分が見送られた送別会
何十年も忘れていたたくさんの人たちの顔
そんなたくさんの人たちと関わりあって、仕事をして、送り送られ、酒を飲んで、

20代後半から30代にかけて、どうやらたくさんの人たちに囲まれてとても充実した日々を送っていたようだ

当然、今の自分の姿や生き方との対比としてそう感じている
退場の時が近いようだ

3月11日 東日本大震災12年 [2023年 日記]

あれから12年、長いようで速いようで

地震の起きた時刻には熊本市でもサイレンが鳴らされた
それを聞き胸が熱くなった

当時の九州は地震や津波による被害は当然無く、どこか他人事のような気分でいた
すごいね、怖いね、大変だね、と

そして物流などまわりまわって我が身に及ぼされる影響に気を取られていた

一区切りの今日、遠く離れたこの地の自分が被災者のことを少しの間想像しただけのこと
けれどそんな想像をした人たちはおそらく世界にたくさんいる

年月が経つに従って、思い出す人も思い出す機会も減っていくだろう


今日テレビで見た被災者の声「(亡き母へ)感謝の気持ちを伝える機会はそうそうない(から花束で伝える)」

感謝という言葉、最近少しばかり冷たい感情だと思っていたが、むしろシンプルかつ深い感情を表す場合もあることに気づかされた

3月10日 本格的に暖かくなってきた [2023年 日記]

今週に入ってがぜん暖かくなってきた
今も、昨日までつけていた暖房をつけず、むしろ窓を開けて冷気を取り入れているくらいだ

これから6月くらいまでこのあたりの気温で推移してくれるととても過ごしやすいのだが、熊本の気候は一筋縄ではいかず、冷え込んだり暑すぎたりが続いていく

3日前の満月を見上げながら思った

もし、月が黄色でなくて他の色に見えていたら人はどう思うだろうかと
赤っぽい色だったらなにがしか不吉な色に感じるのではなかろうか、月食の時がそうであるように
ペテルギウスがそうであるように
緑がかった月だったら草餅に見えてお腹がすくかもしれない
シルバーだったらさぞかしカッコいい月だろうが、冷たい別世界に感じて人々の生活の節々にあまり顔を出さなくなるかもしれない
青だったら

青だったら、月からいや宇宙から見た地球がそうであるように、とても美しいに違いない
もしその青が大海原によりもたらされた色だとしたら懐かしさや親しささえ感じるだろう

見上げて見える月が、あの4倍になり、従って面積で言うと15倍近くの迫力でもし見えたら、それが月から見た地球だ
それだけ大きいと海や陸が見えるだろう、青く澄んで虚空に浮かんで、それはそれは素晴らしい眺めだろう

タグ:地球 満月

2月26日 カフェで読書が4週連続 [2023年 日記]

休日の午後をカフェで読書して過ごす、というのが続いている
新型コロナ感染の心配が減って油断してきたというのももちろんあるが、過ごす時間が居心地いいというのが理由だ

読書へ集中するのなら自分の家が良さそうだが、意外と環境音が多少ある場所でも気にならない
まわりに聞こえる日本語も、自分へ向けられることはないのが明らかだから耳を傾ける必要がない
それに、自意識過剰かもしれないが人の目線があると感じると姿勢も必要以上には崩れないし、身だしなみもそれなりにして出かけて来ているので、よしっ、本を読むぞという気合も入る

出かける前に、読もうとする本を選ぶ時が少し悩ましい
さてカフェで座った時にどんな本が読みたくなるのか、まだ今ひとつ想像がつかないのだ
今日は文庫1冊、単行2冊を持ち込んだが、せいぜい読める時間は長くて2時間ほどだからそんなには必要ない
しかしそれもだんだん慣れて、さくっと選べるようになるだろう

山歩きや散歩に割いていた肉体のための時間を、多少は脳のために使うようにシフトしてもいいと言えるぐらい最近はアウトドアで使っていた

読書に飽きたから、あるいは席が少々居づらくなってきたから、出てジョギングに向かった

白川沿いを走って日が暮れた
5km、30分、キロ5分57秒
平坦な道だから早いペースだったが心肺は早いなりに苦しかった

自分のために時間を使えるという恵まれた我が身の今を感じる
親の介護やこどもの世話ではない時間
家事を離れ、闘病の必要も今のところなく
ただ、この恵まれた時間は永遠ではないと予想する自分がいる
永遠に幸せと感じられるメンタルを持ちなさいと言う自分がいる


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2月19日 KISS [2023年 日記]

KISSとYOSHIKIが組んでロックンロールオールナイトを歌っているシーンがおととしの紅白歌合戦にあり、今日それをたまたま見た。

いろいろな事にたまげたなー

ポールもジーンもクリスもお達者と言えばいいだろう年齢なのに往時に近いパフォーマンスをしていることに
そしてお前らはこれを見たいんだろと言わんばかりのお決まりのアクションや表情
これを何十年も続けているであろうことに

ジョンレノンが生きてたらKISSについての感想を聞いてみたい
それでなくてもミュージシャンは他のミュージシャンのことはとやかく言わないものだがジョンなら何か辛辣なことでも言いそうだ

KISSというアーチストのあり方に不満は決してない、むしろ潔く好ましくさえ感じる
若い時に初めて聞いて衝撃的だった、この魅力的なサウンド
柔らかい脳にしっかりと刻み込まれてしまった、KISSのロゴとメイク、炎、舌

”やるべきことをやっている男”の一つの好例かもしれない、何十年もだ

2月14日 ビートルズ [2023年 日記]

ザ・ビートルズ
外国のバンドにうとい人でもその曲は一度くらいは聴いたことがあるだろう

中学生の頃、友達に大のビートルズファンがいて、家に遊びに行った時などによく聞かされたものだ
立派なリビングルームのレコードプレーヤーに針を落として、コンポーネントシステムの大きなスピーカーで聞いた

もちろん魅力的で覚えやすそうで、いい曲ばかりだと思った
けれどもちょうど中学生の頃といえば反抗心の芽がうずうずしていた頃、正統派っぽいものにはとりあえず寄り付かないのが正しいあり方だった頃だ
シンプルな単語が多く、メロディーも素直なビートルズのファンに自分がなることはなかった

それから長い時を経て今、ビートルズの曲をApple Musicに勧められるままに聞いたのがきっかけで、いいなと思えるようになってきた

とりわけジョンレノンの作った曲や歌声に惹かれる

中学生の頃は、基本的な単語が多い歌詞、すなわち浅くてとるにたらない内容を表していると思っていたが自分の方が浅薄だったようだ
今聞いてみるとシンプルだからこそ解釈のしかたによっていろいろな意味を持ち、聞き手の想像を広げるし、シンプルだからこそ真理を鋭く突いている
そして聞くたびに少しずつ歌詞の意味するところが変化していく

ポールのキャッチーなメロディーに目くらましを半世紀近く受けてきたような気がしないでもない

今さらだが、Apple Musicを通じて、サブスクリプションサービスの将来性を感じたとともに、サブスクリプションサービスによって失われていくものとは何だろうと考えてしまう


2月12日 半崎美子さんの歌 [2023年 日記]

半崎美子さんの歌は以前聴いていて、その声の魅力に随分と感動した

きょう、久しぶりに聴いてみて改めてその素晴らしさに目頭が熱くなった
自身が作詞した歌詞を、心を込めて歌っていることに
そしてその歌詞にも

友達への想い、娘への想い、母への想い

そう、考えてみれば異性への恋愛感情をあからさまに歌った曲が少ない印象だ

ジョンレノンの曲にも平和や神などへの想いを込めた歌詞が多く、自分の近頃のお気に入りになっている

今はそんな歌を聴きたい


2月11日 ジョギングでリフレッシュ [2023年 日記]

先週に続いてスタバで読書、土曜日の午後なのでほぼ満席
しばし前回の続きを読んだり、外を眺めたり

その後、菊陽町の白川沿いをジョギングした
久しぶりの割と本気のジョギング

7.4km、50分、キロ6分46秒

走り出してすぐは呼吸に余裕もあり考え事をしてしまうが、そのうち苦しくなって汗もダラダラかき、考え事どころではなくなる
走り終わって顔を洗い、整理運動し終わった頃からなにか爽快感、幸福感のようなものが来ているのに気づいた
そうか、苦しいくらいに身体を動かせばしばらくの間かもしれないがいい気分でいられる

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タグ:ジョギング

2月9日 父と無言の対話 [2023年 日記]

風呂上がり、いつもどおり、亡き父の写真にお参りしてからしばし対話する

もちろん言葉は発せず頭の中でのやり取りになる

自分が今悩んでいることを語りかける

すると写真の父がそれに対する返事をくれる気がする
そんな事は悩むことではないと怒られたり、
わかるわかると慰められたり、
お前もただの男だなと苦笑いされたり、
自分より周りの人に気を配れと後押しされたりする

写真の父ははっきりした表情ではなく、微笑みかけとも厳しい顔とも哀しさをたたえた顔とも、何とでも取れそうな微妙な表情をしている

写真の表情は変わらないはずだが、しっかりと覗き込むと微妙な表情の変化がある気がして返事を感じる
どんな返事にしても、安定した心持ちになれる、胸のつかえが軽くなる、貴重なひととき

もし父が生きていたらこんなに毎日語り合う事はなかっただろう

我が身はもう写真の父の年齢を越えてしまったが、父と息子であることは終わらない

2月4日 豊かさを自分で見つけ出す [2023年 日記]

お気に入りのサングラスをかけてスタバで読書をしたいしたいと思っていたが
今日それを実現させた

真冬なので屋内だったが他のシーズンならテラス席が良かっただろう
オープンさが違う、読書にはやや集中力を削がれるかもしれないが

黙って読書なのでマスクも外す、他の客も半分ほどはそう

立花隆のわかりやすい文章と情報量で満足感も充分に得られた
おそらく2時間ほど、自分の中ではスタバ最長滞在時間だ


今日見たテレビ番組からネットで調べての気づき

「東京から能登へ移住した時に、自分が与えられた豊かさを享受していただけだったということに気づいた、だから不安で悔しい、ならばと身の回りのものをひとつひとつ見つめ直してその豊かさを見つけていった」という主旨の50台女性の言葉に共感するとともに強さを感じる

東京から比べれば周りの目は相当気になるだろうし、なにより新しい環境で暮らしを始めるにあたって様々な現実的な問題をひとつひとつ地道に解決しなければならないだろう

そんな中、新たに何かを始めよう、それも周りの人々をも巻き込んで
となると相当のエネルギーと胆力が必要なはず

聞けばアメリカ滞在経験もあるし国内でも多方面に興味を広げる女性であるらしい
納得した
建築家である彼女の夫が里山に向ける目線や興味も影響を与えているだろうし
彼女の行為も彼に影響を及ぼしているだろう
羨ましい夫婦関係だ

2月3日 プライベートコミュニケーションツールとしてのSNSについて [2023年 日記]

おととい寝違えた首がまだ痛い
この痛みは毎度の事ながらイヤなもんだ

人とコミュニケーションを取る時に面と向かって話すのか、それとも声のみを伝送して話すのか、
はたまた文字にして読み書きするのか

スマートフォンが開発され、あっという間に進化して、SNS全盛とも言える現況になっている

必定のごとく、文字によるコミュニケーションが隆盛となりそれにまつわるサービスにも
多種多様なものが現れている
未読既読、送信取り消し、履歴検索、会話のバックアップ、ステータスの表示、絵文字顔文字、スタンプにプレゼント、動画に音声にリンクにイイねに、、、

プライベートで、面と向かって話す時に出来て、SNSでは絶対に出来ない事

相手の表情の変化、声のトーン、喋り方の間、姿勢や動作

これらを補完するために、あるいは別の情報を伝えるためにSNSは様々なサービスを付け、
これからも開発していくだろう
そしてそれらを使いこなしてコミュニケーションを上手に取る世代が既に働き盛りに入り、
今後は皆がうまく対面と非対面を使いこなしていくに違いない

自分もメールやその他のサービスを便利なものとして、半ば自然に使ってきたし今後も使うだろう

けれどもやっぱり自分は
相手の目を見て話したい
相手の目を見て話を聞きたい
言ったことへの反応を見ながら言葉をつむぎたい
今日の機嫌はどうなのかを感じながら、以前話したことがあるか思い出しながら


1月30日 映画「エベレスト」2回目 [2023年 日記]

7年前の記事「映画 エベレスト」
https://krishna.blog.ss-blog.jp/2015-11-29

7年ぶり2回目の鑑賞、というか3回、4回と続けて見た
そして、

行きたくなった(笑)

調べてみるとエベレストに登るのには公募隊というものがあり不可能ではなさそう、ただし2ヶ月という長い期間と700万円ほどがかかる
どちらも精一杯頑張ればなんとか出来そうなところがまたイヤだ
あっさりと諦めることができない

かと言って、だいぶ費用が安くなるチョーオユーやマナスルを目指すか?
それはなさそうだ
すぐ近くに「世界一」があるのに

すぐ近くに世界一があるわけではないマッキンレーならどうだろう?
高い緯度、極寒の6千m峰
テレビ隊が機材を担いで登った山に我が身だけ登頂しに行くか、否


さて、何度も同じ映画を繰り返して見ると飽きるか、というと全く逆で、
見るたびにひとつひとつのシーンが丹念に作り込まれていることに気づかされる
逆に言えば一度だけ映画を見ても、その表面しかなぞっていないことになる

この映画はニュージーランドの商業登山隊の話だというのも1度目は気にもしなかった
メインとなるストーリーはもちろん35歳で娘の顔を見ずに亡くなった隊長ロブホールだ

2度目見てからはベックウェザーズが気になる

10歳を超えた頃の1男1女を持つ普通の中年夫婦
テキサスに暮らし結婚記念日をお互い大切に覚えている、夫は週6日ジムに通いガタイもいい

彼はエベレストに挑戦する理由を次のように言っている
「家にいるといつもでっかくて真っ黒い雲に覆われる
鬱々とするんだ
山にいると癒される」
「頂上に立ちたい、そして無事に帰りたい」

この、一見ないものねだりのような、わがままとも取られかねない、けれどとても共感できる感情がこの映画のサブストーリーとなっている

下界の生活では満たされないものを常時感じつつ暮らし、それを逃れて入った山では下界の生活を大切なものに思う。あるいはそう思うために山に入る

ベックのことを調べていたら、うつ病から脱出したくて登山を始めたとの記述を見つけた
(野遊さんのブログ 野遊・呼吸の世界 15 『生きながら残されて』
https://ryo-rya.hatenadiary.org/entry/20091201/1259673140

彼は一度サウスコルで死にかけて、自らの精神力と様々な幸運を集めて生還した
これほど「生」を感じられる出来事はないはず
世界最高峰へ登る夢は叶わなかったが、黒い雲はどこかへ行ったのではないだろうか
気にならないところへ



タグ:映画

1月22日 コーヒーの注文のしかた [2023年 日記]

居酒屋やレストランで、QRコードやタブレットでの注文に切り替える店が増えてきたらしい

おとといの記事に書いたばかりだ

やはり、というか当然だがこの方式について反発する声があがっている
「コーヒー1杯でウェイターにQRコードから注文してくださいと言われて情けなくなった」
との主旨だった、そのウェイターにコーヒーと言えば済むだけなのに

これは極端な例だが、おそらく年齢があがるにつれこういったIT化に生きづらさを感じる人たちは多くなるだろう
そしてSFの世界が現実化するとすれば、ロボットが地球上を席巻し、それに反発する人間主義者たちがあちこちで反乱を起こすというあの将来まで延々と続くのだ

津波のようなこのうねりを起こす原動力は、経費の削減、効率至上主義、技術至上主義、新しいものに魅力を感じる人間の性
資本主義社会に替わる新しい価値観の社会は、自分の生きている間は生まれ育ちそうにもない


1月20日 3年ぶりの居酒屋 [2023年 日記]

コロナが確認されてから3年、飲み会はそもそも好んで行く方ではなかったが
先日その3年ぶりに店で飲んだ

注文はQRコードから読み込んでスマホで行う
だから「すいません〜ん」の大声は店内で聞くことはない
でも出てくる酒やアテは以前と変わらない、もちろん

遠くから来た友と語り、近況を伝え合う
親の老いに、お互いさまだと思い
共通の友とビデオ電話をしてまた近況を聞き出し

ひとまわり年下だけど様々な趣味を持ち行動力もあり
読書家な彼は人の話を聞くのが上手だ

1月15日 自己 [2023年 日記]

自己肯定感を持たなければならない、というプレッシャーから今日は少しだけ解放された

ネットの記事を読んだからだ

肯定も否定も含んだ自己受容感が大事、というのが対症療法でしかないのは確かに理解しやすい
ブッダが言ったように、エゴに執着し過ぎず、雨の日も晴れの日もあるように、自己を認められる日もそうでない日も、ただやるべきことをやる

心の持ちようで生き方は大きく変わる
けれど心の持ちようを変えるのは一筋縄ではいかない
また忘れた頃にこの日記を繰り返し見返してみようか

1月13日 デジタルトランスフォーメーションに従うべき [2023年 日記]

同年代の中では平均よりはデジタルに強いかもしれないとうぬぼれているけれど、
昨今の急速で大規模なデジタルトランスフォーメーションには追いついていけないと感じることがよくある

例えばスマホの機種変更で店舗に行くとする

まず、フラッと店に入って相談することが出来ない、「事前」に、「ネット」で来店予約を入れてから、
その確認「メッセージ」を受け取ってからでないと行くことも出来ない
行ってからも入口で検温して一定の「数値」以下でなければ店に入ることが出来ない
店に入ると受付機あるいはタブレットを持った店員に予約を「照会」される
いざ内容を切り出すにしてもあらかじめ伝えた要件に見合うだけの「時間枠」が用意されているので、いくつもの相談をしたり長々と話を続けたりしていてはいけない
応対する店員はあくまで事務的にしかし的確な要領をもってスムーズに事を進める
承諾や契約のサインはタブレット画面に「デジタルサイン」する
出来た契約書は「pdfファイル」として「電子メール」でもらう

「事前」「ネット」「メッセージ」「数値」「照会」「時間枠」「デジタルサイン」「pdfファイル」「電子メール」

ひとつひとつ取れば難しいこととは言えないが波状攻撃されてくると嫌気がさす

どれひとつとして自分が若かった頃にあったものはない

スマホの機種変更に限らず、以前は店に入れば人間がこちらの顔を見て用件を聞いてくれて、お互いのやり取りの中で解決していく、気軽で頼りやすい場所だった
他の客が待っていても使い方の質問をしたりアクセサリーを選んだり、時にはテレビCMの話をしたり会社の方針に意見を言ったり

確定申告などの手続きのシーンもそうだ
「スマホ」で「マイナカード」を「NFC読み取り」して「アプリ」から「連携」した「サイト」で「ダウンロード」した「書式ファイル」を編集して「アップロード」して「電子申告」する

背中の曲がったおばあちゃんに説明するのに何年かかる?

昔なら世代交代とうまい具合にタイミングを合わせて変わっていってたものが、変革が急過ぎて、多少の心地悪さを高齢者に押し付けていないか


しかし時代はそうなのだから従うほかない
「人」中心の社会を目指して欲しいという望みを持ちつつ、出来るだけ自分が変わらなければいけないのだろう

1月11日 映画「神々の山嶺」つづき [2023年 日記]

昨日の記事のつづき

なぜ山に登るのか

はるか昔からある問いに対して、それはこういう理由だから、と明確に示す記述や映像はほとんど見かけない
もし理由を書いたらそれに反する意見が噴出することだろう

つまり、人は様々な理由で山に登る
健康のため、景色を楽しむため、記録を作るため、仲間と楽しむため

けれど、問いをこれに替えたらどうだろう

なぜ命をかけてまで山に登るのか

すると理由の多くが削ぎ落とされてくる
そこまでして登らなければならない理由としては意味をなさなくなってくる

この映画では「何かわからない、つき動かすもの」と表現していた
すると移動せずにはいられないレミングの衝動のようなものなのか
だとすれば思考で答えが導ける問いではなくなる

ほとんどの人はその衝動を持たないが、明確に感じる人がいる
同じ人でも、ある時期から強烈に感じ始めることやその逆だってあるだろう

命をかけてまで山に登る衝動とは次のような素性だろうか

ベースとしてある、人の感じ方考え方のある部分と、あるいは遺伝子レベルでのある部分と、
出来事として起こった、見たもの体験したことのいくつかが、
偶然出会った時に芽ばえて、
それがその人の中でどんどん育っていった状態

1月10日 映画「神々の山嶺」 [2023年 日記]

2022年製作のアニメ映画

何年も前に消息を絶った孤高のクライマーと、彼が持つマロリーの遺品のカメラを追うカメラマン
2人が冬季エベレスト南西壁に挑む姿を通して、なぜ困難な山に登るのを求めるのかを描く

舞台設定の半分は日本、半分はヒマラヤ
登場人物も日本人、セリフも日本語
なのにタイトルやエンドロールにはフランス語の文字がつらつら流れる

アニメーションは実写と比べてベタッとした透け感のない映像になるのがどうしても好きになれず、
見ようとなかなかならないのだが、テーマがこんな風なので見ることにした

雪山の、岩と雪の織りなす模様が写真のようにリアルで素晴らしい
流れる雲も、強風で吹き付ける雪片の動きも、迫り来る雷雲の迫力も、実写かと思わせるほどだ

カクカクした動きではなく非常に滑らかな動きが最近のアニメの特徴かと思っていたが、
この作品は意外とカクカクしていたり、そうでなく滑らかだったりと不思議な気がした

プルージックで登るだとか、カラビナをハーケンにかけてから半周回すだとか細かい点の描写によって、
本物の登山をその場で眺めているように感じられた

「生きる意味を探す必要は俺にはない、登ることだけによって生かされてきたからだ」
おのれを突き動かすものに従うこと、が生きることなのだろうか
タグ:映画