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1月30日 映画「エベレスト」2回目 [2023年 日記]

7年前の記事「映画 エベレスト」
https://krishna.blog.ss-blog.jp/2015-11-29

7年ぶり2回目の鑑賞、というか3回、4回と続けて見た
そして、

行きたくなった(笑)

調べてみるとエベレストに登るのには公募隊というものがあり不可能ではなさそう、ただし2ヶ月という長い期間と700万円ほどがかかる
どちらも精一杯頑張ればなんとか出来そうなところがまたイヤだ
あっさりと諦めることができない

かと言って、だいぶ費用が安くなるチョーオユーやマナスルを目指すか?
それはなさそうだ
すぐ近くに「世界一」があるのに

すぐ近くに世界一があるわけではないマッキンレーならどうだろう?
高い緯度、極寒の6千m峰
テレビ隊が機材を担いで登った山に我が身だけ登頂しに行くか、否


さて、何度も同じ映画を繰り返して見ると飽きるか、というと全く逆で、
見るたびにひとつひとつのシーンが丹念に作り込まれていることに気づかされる
逆に言えば一度だけ映画を見ても、その表面しかなぞっていないことになる

この映画はニュージーランドの商業登山隊の話だというのも1度目は気にもしなかった
メインとなるストーリーはもちろん35歳で娘の顔を見ずに亡くなった隊長ロブホールだ

2度目見てからはベックウェザーズが気になる

10歳を超えた頃の1男1女を持つ普通の中年夫婦
テキサスに暮らし結婚記念日をお互い大切に覚えている、夫は週6日ジムに通いガタイもいい

彼はエベレストに挑戦する理由を次のように言っている
「家にいるといつもでっかくて真っ黒い雲に覆われる
鬱々とするんだ
山にいると癒される」
「頂上に立ちたい、そして無事に帰りたい」

この、一見ないものねだりのような、わがままとも取られかねない、けれどとても共感できる感情がこの映画のサブストーリーとなっている

下界の生活では満たされないものを常時感じつつ暮らし、それを逃れて入った山では下界の生活を大切なものに思う。あるいはそう思うために山に入る

ベックのことを調べていたら、うつ病から脱出したくて登山を始めたとの記述を見つけた
(野遊さんのブログ 野遊・呼吸の世界 15 『生きながら残されて』
https://ryo-rya.hatenadiary.org/entry/20091201/1259673140

彼は一度サウスコルで死にかけて、自らの精神力と様々な幸運を集めて生還した
これほど「生」を感じられる出来事はないはず
世界最高峰へ登る夢は叶わなかったが、黒い雲はどこかへ行ったのではないだろうか
気にならないところへ



タグ:映画

1月22日 コーヒーの注文のしかた [2023年 日記]

居酒屋やレストランで、QRコードやタブレットでの注文に切り替える店が増えてきたらしい

おとといの記事に書いたばかりだ

やはり、というか当然だがこの方式について反発する声があがっている
「コーヒー1杯でウェイターにQRコードから注文してくださいと言われて情けなくなった」
との主旨だった、そのウェイターにコーヒーと言えば済むだけなのに

これは極端な例だが、おそらく年齢があがるにつれこういったIT化に生きづらさを感じる人たちは多くなるだろう
そしてSFの世界が現実化するとすれば、ロボットが地球上を席巻し、それに反発する人間主義者たちがあちこちで反乱を起こすというあの将来まで延々と続くのだ

津波のようなこのうねりを起こす原動力は、経費の削減、効率至上主義、技術至上主義、新しいものに魅力を感じる人間の性
資本主義社会に替わる新しい価値観の社会は、自分の生きている間は生まれ育ちそうにもない


1月20日 3年ぶりの居酒屋 [2023年 日記]

コロナが確認されてから3年、飲み会はそもそも好んで行く方ではなかったが
先日その3年ぶりに店で飲んだ

注文はQRコードから読み込んでスマホで行う
だから「すいません〜ん」の大声は店内で聞くことはない
でも出てくる酒やアテは以前と変わらない、もちろん

遠くから来た友と語り、近況を伝え合う
親の老いに、お互いさまだと思い
共通の友とビデオ電話をしてまた近況を聞き出し

ひとまわり年下だけど様々な趣味を持ち行動力もあり
読書家な彼は人の話を聞くのが上手だ

1月15日 自己 [2023年 日記]

自己肯定感を持たなければならない、というプレッシャーから今日は少しだけ解放された

ネットの記事を読んだからだ

肯定も否定も含んだ自己受容感が大事、というのが対症療法でしかないのは確かに理解しやすい
ブッダが言ったように、エゴに執着し過ぎず、雨の日も晴れの日もあるように、自己を認められる日もそうでない日も、ただやるべきことをやる

心の持ちようで生き方は大きく変わる
けれど心の持ちようを変えるのは一筋縄ではいかない
また忘れた頃にこの日記を繰り返し見返してみようか

1月13日 デジタルトランスフォーメーションに従うべき [2023年 日記]

同年代の中では平均よりはデジタルに強いかもしれないとうぬぼれているけれど、
昨今の急速で大規模なデジタルトランスフォーメーションには追いついていけないと感じることがよくある

例えばスマホの機種変更で店舗に行くとする

まず、フラッと店に入って相談することが出来ない、「事前」に、「ネット」で来店予約を入れてから、
その確認「メッセージ」を受け取ってからでないと行くことも出来ない
行ってからも入口で検温して一定の「数値」以下でなければ店に入ることが出来ない
店に入ると受付機あるいはタブレットを持った店員に予約を「照会」される
いざ内容を切り出すにしてもあらかじめ伝えた要件に見合うだけの「時間枠」が用意されているので、いくつもの相談をしたり長々と話を続けたりしていてはいけない
応対する店員はあくまで事務的にしかし的確な要領をもってスムーズに事を進める
承諾や契約のサインはタブレット画面に「デジタルサイン」する
出来た契約書は「pdfファイル」として「電子メール」でもらう

「事前」「ネット」「メッセージ」「数値」「照会」「時間枠」「デジタルサイン」「pdfファイル」「電子メール」

ひとつひとつ取れば難しいこととは言えないが波状攻撃されてくると嫌気がさす

どれひとつとして自分が若かった頃にあったものはない

スマホの機種変更に限らず、以前は店に入れば人間がこちらの顔を見て用件を聞いてくれて、お互いのやり取りの中で解決していく、気軽で頼りやすい場所だった
他の客が待っていても使い方の質問をしたりアクセサリーを選んだり、時にはテレビCMの話をしたり会社の方針に意見を言ったり

確定申告などの手続きのシーンもそうだ
「スマホ」で「マイナカード」を「NFC読み取り」して「アプリ」から「連携」した「サイト」で「ダウンロード」した「書式ファイル」を編集して「アップロード」して「電子申告」する

背中の曲がったおばあちゃんに説明するのに何年かかる?

昔なら世代交代とうまい具合にタイミングを合わせて変わっていってたものが、変革が急過ぎて、多少の心地悪さを高齢者に押し付けていないか


しかし時代はそうなのだから従うほかない
「人」中心の社会を目指して欲しいという望みを持ちつつ、出来るだけ自分が変わらなければいけないのだろう

1月11日 映画「神々の山嶺」つづき [2023年 日記]

昨日の記事のつづき

なぜ山に登るのか

はるか昔からある問いに対して、それはこういう理由だから、と明確に示す記述や映像はほとんど見かけない
もし理由を書いたらそれに反する意見が噴出することだろう

つまり、人は様々な理由で山に登る
健康のため、景色を楽しむため、記録を作るため、仲間と楽しむため

けれど、問いをこれに替えたらどうだろう

なぜ命をかけてまで山に登るのか

すると理由の多くが削ぎ落とされてくる
そこまでして登らなければならない理由としては意味をなさなくなってくる

この映画では「何かわからない、つき動かすもの」と表現していた
すると移動せずにはいられないレミングの衝動のようなものなのか
だとすれば思考で答えが導ける問いではなくなる

ほとんどの人はその衝動を持たないが、明確に感じる人がいる
同じ人でも、ある時期から強烈に感じ始めることやその逆だってあるだろう

命をかけてまで山に登る衝動とは次のような素性だろうか

ベースとしてある、人の感じ方考え方のある部分と、あるいは遺伝子レベルでのある部分と、
出来事として起こった、見たもの体験したことのいくつかが、
偶然出会った時に芽ばえて、
それがその人の中でどんどん育っていった状態

1月10日 映画「神々の山嶺」 [2023年 日記]

2022年製作のアニメ映画

何年も前に消息を絶った孤高のクライマーと、彼が持つマロリーの遺品のカメラを追うカメラマン
2人が冬季エベレスト南西壁に挑む姿を通して、なぜ困難な山に登るのを求めるのかを描く

舞台設定の半分は日本、半分はヒマラヤ
登場人物も日本人、セリフも日本語
なのにタイトルやエンドロールにはフランス語の文字がつらつら流れる

アニメーションは実写と比べてベタッとした透け感のない映像になるのがどうしても好きになれず、
見ようとなかなかならないのだが、テーマがこんな風なので見ることにした

雪山の、岩と雪の織りなす模様が写真のようにリアルで素晴らしい
流れる雲も、強風で吹き付ける雪片の動きも、迫り来る雷雲の迫力も、実写かと思わせるほどだ

カクカクした動きではなく非常に滑らかな動きが最近のアニメの特徴かと思っていたが、
この作品は意外とカクカクしていたり、そうでなく滑らかだったりと不思議な気がした

プルージックで登るだとか、カラビナをハーケンにかけてから半周回すだとか細かい点の描写によって、
本物の登山をその場で眺めているように感じられた

「生きる意味を探す必要は俺にはない、登ることだけによって生かされてきたからだ」
おのれを突き動かすものに従うこと、が生きることなのだろうか
タグ:映画

1月9日 土地の記憶 [2023年 日記]

ずっと同じ場所に住んで育った人が、成長して後年その場所を訪れた時にどう感じるのだろう

というのも頻繁に転居していた自分にとっては、ある土地に暮らしていた時の自分の年齢層とその土地の印象が極めて密接に結びついているからだ

幼児期から小学校低学年は、辛うじて強烈な印象を持った物や雰囲気を覚えているくらいだ
小学校高学年から中学はじめまでは、実に多彩な事を覚えている、それはほとんど全てがいい思い出だ、とてもとても

友だちのこと、家族のこと、自転車で遠出したこと、花火大会、部活動、校内放送や給食、掃除の時間、半ドンの昼間の家路、遠足、、、

楽しかったことばかりだ

なぜ楽しかったことばかりなのだろう、楽しくなかったことを忘れた?
それともこどもから大人への過渡期なので、急激に広がる世界へのあふれる喜びに対して汚れや怖さを知らなかったから?
両親の庇護に甘えていたから?

中学後半からはネガティブあるいは切ない記憶が顔を出してくる、そして高校ともなるとますます抑うつされたシーンが増えてくる

それぞれの期間を自分は違う土地で過ごした
だからそれぞれの土地に立つたびにそれぞれ独立した情感を持つ

同じ場所で育った人はたくさんの想いが一つの土地のイメージに積層されて記憶されているのだろうか


1月8日 笑いたい [2023年 日記]

「笑いたい おなかの底から笑いたい
 気違いみたいに 笑いたい
 みんなと一緒に 笑いたい
 地球が揺れるぐらい 笑いたい」

  安東博・小林愛子詩集「風によせて 花によせて」より


目に見えないウイルスが人々を萎縮させ閉じ込もらせる、
国家権力を持った者の頭に排他的な欲望がつのる、
多数から外れた行動をする者に眉をひそめる、

ごく弱い力で、しかし決して緩まることのない力でじわじわと締めあげられるような今


ひっくり返って、腹をかかえて、涙を流して 笑いたいよね

1月7日 喪中欠礼と寒中見舞い [2023年 日記]

喪中欠礼はがきを昨年末に出していたが、2通だけ年賀状が届いた

松の内も明けるので寒中見舞いを書く

届いた2通の年賀状をゆっくり読む、2通だけだからじっくり眺めて味わえる

はるか昔に出来た縁が、途中ほぼ会ったり話したりもなく、何十年も続く

嬉しいじゃないか

型にはまった年賀状はがきを何百日に一回しか送って来ない自分に、近況を伝える文を書いて送ってくれるとは

年重ねると情にもろくなっていかん

1月6日 バス同士のすれ違いにホッと [2023年 日記]

今朝の出勤途上のできごと

自分の運転する車の2、3台前に産交バスが走っていた
そこへ向こうから電鉄バスがこちらへ近づいてきた

同じバス会社同士のすれ違いならば、運転手がすれ違いざまに右手を挙げてお互いに会釈をする
その光景が好きだ

交通戦争とは交通事故が多かった昔のことだが、少し違った意味で近頃は交通紛争みたいなものが
あちこちで起こっているような気がする
車と車のいやがらせ合い、妨害し合い、
あるいは利己的な運転が目立つと言っていいかもしれない

信号が青になったとたんに急発進して対向直進より先に右折していく車やバイク、
高速道路で左車線から追い抜いて行く車、
黄色信号で加速する車、
横断歩道の上で停止する車

近頃は気に留めないのが一番とわかってきたが、少し前までは結構腹立たしかった

そんな中、バスのすれ違いで会釈を見るとホッとする
どんな気持ちで会釈しているのだろう
お疲れさま、今日は定刻で走れているか?
いい天気でお互い運転しやすいよな、
今朝もこの路線ですれ違ったな、長時間ご苦労さま、
とかとか

路線バスの運転という同じ苦労を知っているもの同士として、少なくともねぎらいの気持ちはあるに違いないと踏んでいる


今朝はちょっと違った
すれ違うバスの会社が違うのだ

どうなるだろう、会釈をするだろうか、しないだろうか
過去のこういった別会社のケースでは哀しいかな会釈はしていなかった、当然でもある
だから今朝もしないかもしれないと思って見ないことにした
哀しい気持ちは、それがこんな取るに足らないわずかなことであっても欲しくはない

けれども哀しいことも見なければ先に進まないではないか

とまあ、シナプス伝達の微妙なさざ波を大げさに書いてしまったが、
実際のところ、バスの運転士は会釈をした

自分はホッとした、会釈にも、わずかでも前に進めたことにも



1月5日 神に手を合わせること [2023年 日記]

昨日の記事にniceをいただいたLargeKzOhさん、ありがとう、嬉しいです

神社やお寺という空間に身を置くと、心が穏やかになり気持ちがすっきりすることに今さらながら気がついた

初詣の混雑時は置いといてだ

周りより少し冷えた空気、
かすかなしょうのうの香り、
今となっては珍しくなった、完全に木材のみで造られた建物、
暗い影、
静かな空間に刻がゆっくりと流れる

姿勢を正して、2礼2拍1礼
ゆっくりと、心を込めて

自分はご先祖さまのおかげで今日も生きられました
自分は周りの人々のおかげで今日も生きられました

命というものを手に入れられない人もいるのに
凍えて、飢えて、怯えて過ごさなければならない人もいるのに

そう考えると自分に与えられた命への感謝の気持ちが、一時的とは言え湧き上がるのだ
悩みごとに心を囚われて過ごす時間が申し訳なく思えてくる
合流したい車を見れば、入れてあげてもいい、自分の到着時間にそれほどの遅れにはならない
顔の皮膚のたるみが増えてきた、そのままでいい、それだけの歳をかさねてきたのだから

そんな風に心が落ち着いて、穏やかな気持ちになれるのだ


1月4日 映画「最高の人生の見つけ方」 [2023年 日記]

2008年製作、ジャックニコルソン、モーガンフリーマン共演

状況は2名病室の同室者、お互い余命が少ない

2人の熟しきった男たちの顔を、ただ見ているだけで落ち着く
余計なことを言わない、相手の話を聞く時に必要ないあいづちを打つ事もない、ただ聞くだけだ、けれどもあくまで真剣に耳を傾ける

口数多めのシーンもいい、ユーモアを交えた言葉なら心に余裕があることを表している

表情はあくまで穏やか、あるいは生気にあふれている、どうすればそんなに心が強くなれる

鏡で自分の顔を見て「ひでえつらだ」そういう時、あるね
「心臓麻痺でポックリいってるやつが心底うらやましい」こんな状態になるのは避けたい
「残された日数を知れば開放感を得られるような気がしていたが、実際は違っていた」大いに参考になる
「親族が見つめる中で、同情や哀しみで窒息しながら死にたいか」今は何とも言えないが目に浮かぶようだ
「2番目(の妻)なんて呼ぶから嫌われる」ははは、なるほど、言われた方の気持ちを考えろか
「自分の人生に歓びを見出せたか、他者の人生に歓びをもたらしたか」ハッとする視点だ

最期は「静かに目を閉じて大河の流れに身を任せろ」

こんなに心休まる病室ならうらやましい
タグ:映画

1月3日 先日の紅白歌合戦 [2023年 日記]

テレビの前で番組に対する意見を突っ込みたくなるのはお年寄りばかりではない、いや待て、自分がお年寄りになったのか

IVE 初めて見るK-POP女性グループ、いつもどおりどの娘がかわいいかという目線が真っ先に来る、その次に来る感想は、困った、違いが分からない、だ
見た目もダンスも歌も、これまでのグループとの違いが一度聞いただけではわからなかった
TWICEも最初はそうだったからある日突然気になりだすことがあるかもしれないが、そうならない可能性も大だ
K-POP女性グループを見ていると、北朝鮮のマスゲームを思い浮かべる
ピタリと合ったダンスの振り、綺麗で魅力的な衣装
一生懸命に踊っているのが伝わるし見ていてもすごいなと思う
そして今この時も、凍える冬を過ごしている人たちが居る事を思い出してしまい、哀しみを少しだけ感じるのだ

Snow man こちらも初めて見た、男性グループもジャニーズ系やK-POP系入り乱れて、自分の中でごちゃまぜになってきて久しい
集団が苦手だった自分にとってどのグループも人数が多ければ多いほど、困る
まず一人一人を覚えて知りたいと思ったとしてもなかなかすんなりとは覚えられない、だから覚えようという意欲が削がれがち、それを言っちゃおしまいか

Perfume 見慣れてきた感じはする、つまり似たような曲と踊り、たたずまいもダンスも素晴らしいアーチストという感じだ、こちらは3人だから一人一人に多少は没入できる、晴れの紅白の舞台で楽しんでいるだろうか表情が暗めだがとか、「ディスコ」の部分だけ生声ということは他はカラオケだよねそれは昔からとか、かしゆかの長い黒髪が綺麗だとか

The Last Rockstars Yoshikiについては先日NHKのドキュメンタリーで長期間の取材をしていたものを見ていたのでその生い立ちなどから拒否感無く素直に見られた、けれども今の自分の好みの音楽ではないので流してしまった
アメリカのロックバンドにも我らはロックスターと連呼する曲があったが、自分達をスターつまりすごいものだと発信することについて肯定も否定もしない、ある場合にはあるだろう

Aimer ド派手がテーマらしいね、見栄えが重視される昨今の世相を反映してるのかな
アニメに関連する曲、あるいはボーカロイドとジャンル分けされる曲にはたたみかけるような言葉の連続がよく見られる気がする、J-POPでもそうだ、何度も繰り返して聞いたことはないけれども何度も繰り返して聞いたら心に響くのかもしれないね

坂本冬美 お祭りマンボ、こんなんが落ち着くな、大勢で楽しそうに盛り上がる、会場に居たら元気がもらえるだろうな





1月2日 映画「ビー・ジーズ 栄光の軌跡」 [2023年 日記]

昨年末に映画館で見た。ビー・ジーズは自分が音楽を聞き始めて間も無くの高校時代からずっと聞いている気がする
ちょうどジョンレノンの映画も上映されていてどちらを見るか迷ったが、微妙な上映時刻の差でこちらにした

アバもそうだが、大ヒット後の一時期バッシングされる期間があった
いちファンにとっては特に気に留めずに以前の曲を聞き続けてきただけなのだが、考えてみればバッシングで苦しんでいるアーチスト自体に思いも馳せないとはファンと言える資格があるのだろうか
まあ、そんなに深刻に考えなくてもいいのだろうが自分の中でなにかひどいことをしてきた感がある

ビー・ジーズの大ヒットはサタデーナイトフィーバーだが、確かにその後はディスコを笑いものにする風潮があった
この映画のワンシーンで驚いたのは、ディスコをヘイトするための大掛かりなイベントがあったということ
好きでもない、というか嫌いなもののために多大なエネルギーを費やす意味がわからない
好きなものを応援したり、これだけ好きなんだと表明したりするのならわかる
ディスコのLPレコードをたくさん集めて爆破する、そこまでして嫌悪感を表明しないではいられない
例えば演歌が嫌いな人々がそんなことをするだろうか、ラップが苦手な人たちがするだろうか

アメリカの話だから、と言ってしまえば終わってしまう
大ヒットという現象に対する反感、大ヒットに便乗してあちこちで勃発した真髄のない音楽に対する反感、そんな方向もあるのではないだろうか

バッシング渦中の本人たちの苦しみは想像を絶する、そしてそこから新しい境地を切り開いて、再び目を見張るような作品群を残してきた彼らのエネルギーに対して、素直に深く尊敬の気持ちが起こる


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1月1日 映画「空に住む」 [2023年 日記]

空に住むとは、タワーマンションに住むことを表しているけれど、ふわふわした拠り所のない生活感を表してもいる。くうに住むと読んでもいい

ひとからげに言っては乱暴ながら、昨今の若者の虚無感を感じた
そしてその中で生きていくつらさも

辛い事は生きていればつきものと言っていいだろう
昭和世代なら昭和世代なりの、その後の世代も、感じている事は時の流れに連れて移ろいつつも、その時なりの辛さがあるだろう

それでも生きていかなければならない、いつの時代でも同じだ


昨夜の紅白歌合戦、後半は予想よりもは面白く見ることができた
佐野元春、昔は聴きもしなかったけれどカッコいい、後半の歌パートのみに絞っての出演も潔い
立ち姿、歌う声
やっぱり大人の男なら自信に満ちた表情で、やるべきことをやる、それだけだ



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