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7月31日 映画「ひまわり」 [2022年 日記]

1970年作
男女の恋愛と別れという、おそらく終わることのないテーマを取り上げている。

序盤の恋愛シーンを見ていると、つくづくお国柄の違いって大きいなと思う。大雑把な調理や砂浜で抱き合うなど、この国でもあるにはあるだろうが大方はもっと大人しくやるだろう。

戦争が2人を分けてからのそれぞれの表情はさすが名優という演技。ロシア女性も美しく切なげ。

ミラノの出札口の駅員が見ていた雑誌にボカシが入っていて、それを主人公がどう感じたのかわからずじまいとなった。ある程度は想像出来るものの少しモヤモヤする。

小麦を口にする時に、ウクライナの丘陵に広がるロシア兵イタリア兵の墓が頭に浮かぶだろうか。いや、そんな具体的な反応は必要ないだろう。この世というものはどこでも多かれ少なかれ、先祖の累々たる想いが沈殿した上に出来上がっていると認識しておけばいいから。
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7月27日 映画「影武者」 [2022年 日記]

登場している俳優に「乱」と重なっている人が多いせいか、このようなシーン見たことあるなということが多かった。

ストーリーでは、武田信玄が去った後の影武者が主人公になるのかと思いきや、意外と早く影武者でいられなくなり追い出され、以降は存在感があまりなかった。影武者の目を通した戦場という様相だった。なぜ意外と、と思ったのかと言えば、中盤で山﨑努から出た思わせぶりなセリフ「影武者である彼にも同情する」。ということは、この後は彼の心境がクローズアップされるのかと思った。たとえ追い出されたにしてもその後の人生に影武者だったことの影響がどう出てくるのか、などという視点があるのかと。しかしそうではなくその後の天下取りの情勢に向かった。

戦乱の哀しさは感じ取れたし、3時間の長さも終盤ややつらかったが飽きずに見ることができた。クレジットで流れた女優がどの役だったのかまるっきりわからないのは時代劇ではよくある。この役が誰かとわかって見ても凝視して想像を働かせないと頭がついていかない。

中盤で影武者が悪夢を見るシーン。後の黒澤監督の「こんな夢を見た」に共通している。極彩色の夢幻的な空間で苦しみもだえる主人公、イメージ的なシーンだが「2001年」の宇宙の彼方へのシーンを思い出した。

仲代達矢の演劇的な動きやセリフ回し、隆大介の豪快な振る舞い、根津甚八の独特な目つき、大滝秀治の達者な芝居、どれもこの映画にピタッとはまる。

調べてみたらこの映画は「乱」の準備版だとか、主役は元々は勝新太郎だったとかおもしろいエピソードがあった。

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7月12日 映画「イージーライダー」 [2022年 日記]

テレビドラマと映画の違いはなんだろう、と思うことが時々あって、ビデオとフィルムの違いだとか、CMが入るかだとか、予算の規模だとかあるにはあるものの、線引きをする必要性にはしっくりこない。メディアがテレビか映画館かってのもあるか。

この映画を見て、あいまいではあるが新たにひとつ、映画の存在理由が加わった。

それは、製作者の明確な制作理由の存在だ。

見る人の興味や関心に入り込んでいく作り方、見る人を楽しませよう考えさせようという意図が透けて見えるテレビドラマ。
映画も多くはその傾向があるがそうではないものもある。時代を記憶しておく、人物を記録しておく、風俗を。あるいは映像で表現できることで何か新しいものを作り出す。


この映画、見るまでは暴走族のような高い位置にあるハンドルのバイクで、アメリカ大陸を陽気に駆け抜ける映画だと勝手に想像していた。

主人公が麻薬の密売仲介をする冒頭からしてあまり共感できそうなストーリーではないなと感じつつ見始め、中盤のヒッピーコミュニティーや後半のハイなイメージショットのカットの連続には画面を見続けるのもつらくなった。カット切り替えを3回すばやく往復させるシーン転換もめまいがしそうで苦しかった。ドラッグやった頭が見るものを暗示しているのかもしれない。ラストシーンに至っては怖いというか悲しいというか。

そんな訳で、陽気なバイク映画を見るつもりだったのが重くて気持ち悪い後味を残してくれた映画を見てしまったのだった。

そんな後味を残せるテレビドラマはあまりないだろう。その気持ちが直後のCMの商品に乗り移る。
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