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1月11日 映画「神々の山嶺」つづき [2023年 日記]

昨日の記事のつづき

なぜ山に登るのか

はるか昔からある問いに対して、それはこういう理由だから、と明確に示す記述や映像はほとんど見かけない
もし理由を書いたらそれに反する意見が噴出することだろう

つまり、人は様々な理由で山に登る
健康のため、景色を楽しむため、記録を作るため、仲間と楽しむため

けれど、問いをこれに替えたらどうだろう

なぜ命をかけてまで山に登るのか

すると理由の多くが削ぎ落とされてくる
そこまでして登らなければならない理由としては意味をなさなくなってくる

この映画では「何かわからない、つき動かすもの」と表現していた
すると移動せずにはいられないレミングの衝動のようなものなのか
だとすれば思考で答えが導ける問いではなくなる

ほとんどの人はその衝動を持たないが、明確に感じる人がいる
同じ人でも、ある時期から強烈に感じ始めることやその逆だってあるだろう

命をかけてまで山に登る衝動とは次のような素性だろうか

ベースとしてある、人の感じ方考え方のある部分と、あるいは遺伝子レベルでのある部分と、
出来事として起こった、見たもの体験したことのいくつかが、
偶然出会った時に芽ばえて、
それがその人の中でどんどん育っていった状態

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