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5月25日 フルーツ好き [2022年 日記]

フルーツが好きな人には嬉しい季節だ。

スイカ、メロン、イチゴ、甘夏、パパイヤ、もうすぐスモモ、桃、ぶどう
年齢によって好みの食品も変わっていくものだ


5月4日 映画「DUNE」 [2022年 日記]

もう何度か見たが、初めてすべての筋が腹に落ちた。
最初に見た時は下品な描写に驚き、フレメンの青い眼に心を躍らせたものの、話の展開についてはなかなか追いつけず消化不良だった。

ヴィルヌーブ版も文句なしにいい映画なのだが、なんというか昭和世代の心をくすぐる一昔前感を終始楽しめる、80年代のこちらがしっくりくる。

展開を追うのに余裕が出てきたおかげで、どこが見ていて気に入ったのかいくつか確認できた。

アナログで非実用的な造形
 ーーー 宇宙船の形状、皇帝の宇宙船操縦席の丸く向き合って座る形状、アラキス探査船のマイクの細長く堅い形状、ソファのような格子状室内壁、浮遊する照明の意味ない翼、スペースギルドのナビゲーター、その付き人の衣装、ギーガーやガウディを思わせる装飾

グロテスクで汚げな人々
 ーーー ハルコネンすべて、眉毛のもっさり感、頭髪がごわごわあるいは皆無、生き物の体液を摂取、フレメンの埃っぽさ

ショーン・ヤングとジェシカ母の美しさ、TOTOとENOの音楽、カイル・マクラクランの自信に満ちた表情、随所に入る心の声


デビッド・リンチが描いてドゥニ・ヴィルヌーブがカットしたものを抜き出せば両監督の(プロデューサーの)好みがなんとなく分かる。

で、原作者は必要のために権力・搾取・征服・復讐を描いているのだが、今この時間にも砲火に怯え命を落とそうとしている人たちがいる事を思い出さずに見ることはできない。娯楽と言いきってしまえればいいのだが。


タグ:映画

4月27日 映画「山猫」 [2022年 日記]

永らく外国からの侵略による支配を受けて来なかった国の人間からすれば、それと正反対の国の事情や人々の感情を理解することはたやすくない。それでもこれを見終わった後にはそんな人々の深い深い哀しみがほんの少しだけ感じられる、いや感じなければならないように思える。

久しぶりにバート・ランカスターにお目にかかった。立派な体格に豪快な性格のイメージなので公爵役にはピッタリだ。若い頃のあふれんばかりの男っぽさぶりは一昔前の「スクリーン」や「ロードショー」などの映画雑誌の表紙にうってつけだ。

これまた自分とは全く無縁の、貴族階級の生活ぶりの描写も興味を引いた。おかかえ牧師との関係、政治との関係、民衆との関係。

そして、日本人なら100%やらない、もしやっても後でこう行動するなどと思いながら他国の人々を見る、まるで海外旅行気分だ。

おっと、舞台の土地を書いていなかった。現在のイタリア南部シチリア。描かれている時代は調べたところ19世紀なかば。乾いた土地を吹き抜ける風を見ているとゴッドファーザーを思い出す。

バート・ランカスターやアラン・ドロンのイタリア語がひどく上手だと思っていたら吹き替えとのこと。無駄なことだがもう一度見て確認してみたくなった。

タグ:映画

4月24日 映画「乱」 [2022年 日記]

これまで何本か黒沢監督の映画を見て来たが、これもまた黒沢監督らしさ全開の映画だった。

ただ、ずっと仲代達矢の芝居を見ているような感覚に陥る事もあった。製作に携わられた方々には失礼な言い方かもしれないが、雄大な自然や城下で繰り広げられるおとぎ話のような贅沢な舞台。そういった意味では少し前のハリウッド映画の特異な主人公のようでもあり、映画という世界の魅力の一面とも言える。

ピーターの演じる道化の役回りもどこか共感にまで至りにくかったのは自分の感受性の少なさのせいだろう。なぜそこで素っ頓狂に踊り出すのか、なぜその場面で声をあげて悲しむのか。

荒野に煙が流れる幻想的なシーンや、わざわざ風の強い日を選んで撮ったであろうシーンは確かに印象に残るし見ていて満足感が大きい。視聴後にも思い出すのはそんなシーンの数々だ。

見たことのあるような大草原の風景は、やはり阿蘇やくじゅうでのロケのようで、撮影協力にクレジットされていた。山並のスカイラインの形から、知った山が出ると興ざめするなと余計な心配をしていたがそこは大丈夫だった。山名を同定できる山には幸い気づかずに済んだ。もちろんカットカットのアングルに気配りがされているのかもしれない。

憎しみあい苦しんで生きるのが人間だ、哀しい性。それをわかったうえで、悲しんで暗い気持ちになるのか、それともそうだと受け入れて生きていくのか。大きな違いだ。たとえ受け入れていくにせよ、人への見方が希望や明るさに満ちたものでなくなり疑いや冷たいものになるのなら、これもまた哀しい事だ。

否、最後のシーン、仏の掛け軸を見せることで、そういった自覚をしているということ自体で救いになっていると受けとめたい。

タグ:映画

4月13日 映画「オリエント急行殺人事件」 [2022年 日記]

有名な作品は見ておかねばと録画した。

1970年代の作品にもかかわらず想定外の斬新な種明かし。そして無罪放免どころかワルツをバックに乾杯するエンディングでややあっけにとられる。

ポワロが容疑者を次々と尋問していくくだりが面白い。質問の仕方、相手の反応、答えに対するさらなる質問、意表をつく行動、そもそもの聞いていく順番。

鉄道ファンとしては長々とたくさんの車両を引っ張る機関車かなと期待していたがわずか数両だったのが残念。

アガサクリスティーは人気作家だという事だけは知っていたが、原作を読めば確かに面白そうだ。
タグ:映画

4月12日 ドラマ「あ・うん」 [2022年 日記]

リアルタイムではこの独特の暗さに滅入ってしまってチラ見ぐらいしかしていなかった。まだ若くて見られる頭ではなかったとも言える。

大人になった今見て、それは暗さというより落ち着きやつつましさという部類なのだということがわかる。

作者向田邦子の描く昭和の父親は威張り散らしていて、下手をすると疎まれるような存在ながら、居なければならない大事な人物であることが、頭ではなく腹の底から腑に落とされる。

登場人物ひとり一人がそれぞれ一生懸命生きている昭和。人に迷惑をかけたり、頼ったり頼られたり、憎んだり、けれど心の中では大事にしていて。

また、映像の端々にふんだんに描かれているのは、建て付けの悪そうな建具、効率悪そうな炊爨、寒そうでプライバシーもなさそうな暗い家。

楽で快適な生活を手に入れられた令和の今だからこそ、それらの中に息づいていてもう失われてしまったものたちになにがしかの評価をしておかなければならない時期に来ているように思った。

タグ:ドラマ

4月9日 映画「スタートレック イントゥ ザ ダークネス」 [2022年 日記]

スタートレック(1作目)が面白かったので見てみた。

ずいぶん後年に制作された映画なのだろう、いろいろと近代化していた。
調べてみたら34年も経っている。

フロンティア精神讃歌なのはシリーズ相変わらずだ。

善と悪、敵と味方が一見明確に分かれてないのは近年の映画ストーリーの複雑化に沿ったものだろう。
見ていてふと思ったのは、これは西部劇だなと。勇敢な主人公が荒馬を乗りこなして仲間とともに未開の地をめざして困難を越えてゆく。舞台が乾燥した荒野か宇宙かの違いだけだ。

やたらとカウントダウンが多かったり、走ったり、殴り合ったりと、展開が速くて、退屈な部分はないがそれも昨今の映画の作り方。2作見た限りは宇宙の深さや神秘性を描くタイプのシリーズではないようだ。

いつものように観た後にネットで情報を調べてみた。ロボコップやドクターストレンジに役者つながりがあったりして面白い。スタートレックという世界観は超有名で知ってはいたが改めて、膨大なシリーズ、独自の年表や用語など、かなり大きな広がりを持っていることがわかった。

タグ:映画

3月28日 映画「ゴースト ニューヨークの幻」 [2022年 日記]

単純すぎるようなテーマや設定ながら、素直に楽しめた。

地下鉄幽霊の怪演が、やや退屈になりそうなストーリーに絶妙なスパイスを加えてくれた。
主人公の、地面は踏めるのに物は突き抜けるという不条理や、異界からの影響が現世に及んで物事を変えてしまうタイムパラドックスなどは別に問題ではない。
ウーピーゴールドバーグのコミカルな演技は異文化の者が見ても面白い。人気者なのもうなずける。
デミムーアは、美しいと言うより可愛い。どこの造りがそうなんだろうと見つめているだけで時間が経つのでシーンが間延びして感じることがない。
主人公の行動はツッコミどころ満載だし、それがコミカルさというものか。

地下鉄内やダウンタウンの様子に、自分が安らぎを覚える場所ではないだろうなという感を強くする。

タグ:映画

3月7日 映画「あん」 [2022年 日記]

「何者かになれなくても、私たちには生きる意味がある」
就職を前にして気負っていた頃の自分が、ある人から聞かされた言葉と重なる。

「誰かのために何かをしたい」若者に原作者が違和感を覚えたところからはじまり、河瀬監督がハンセン病とからめて、味わい深い作品になっている。主演2人もこのうえなく渋い。(元?)患者役の両女優が、その後ほどなくして亡くなっていることを考え合わせて見るとさらにだ。

熊本にもハンセン病の人たちが住む施設がある。外を通ると静かで樹木がさやさやとそよぎ、この映画の風景そのままだ。施設の中も風が樹々をゆらしていることだろう。

何事かを成し遂げていないとは言えないだろう樹木希林さんが、この映画のプロモーションに精力的にかかわったエピソードを聞くにつけ、弱者へのやさしいまなざしを持った人だった事がうかがえる。そうなったのは自分の寿命が終盤にさしかかった事を自覚したからだろうか。フニフニと唄っていた頃から、好きでも嫌いでもない女優さんぐらいにしか認識してなかった無知な自分ではあるが、そうではないとなぜかはっきり感じる。
タグ:映画

2月27日 事実主義 [2022年 日記]

同僚がファクトフルネス?をやっている?勉強している?はまっている?
とか言ってた。

呼び方は記憶に残らなかったが、事実に基づいた考え方を積み重ねていくことに重点を置くことは大事。
推測で理解すること、デマや偏った主張に右往左往しないこと

けれど、その事実を手に入れるのが難しい


1月15日 映画「2001年 宇宙の旅」つづき [2022年 日記]

映画を観た後にいくつか引っかかる点があったので、原作を何十年かぶりに読み直してみた。

巻末の訳者あとがきにふれられているとおり、この作品については映画を観てから原作を読む、という順番が本当におすすめできる。映画のセリフの少なさに象徴される、映像で観るものの想像力を喚起するという構成が、文字による詳細な描写によって補完され修正され、拡大される。原作を読みながら、映画の1シーン1シーンがことごとく脳裏に蘇り、ただ文字をたどるだけではなかなかスラスラと頭に入りにくい翻訳ものがきわめてピタッと入ってくる。

前半の猿人のシーンも、ラストの跳躍シーンも、丁寧なガイドに説明してもらっているようだ。しかし、かと言ってイマジネーションが制限される訳でもないのが素晴らしいところだ。むしろ、より深遠な広がりとさらなる探究心を呼び起こしてくれる。また、木星表面や宇宙船内の生活などの描写は微細で、まるで自分が宇宙旅行をしているようで、読後には長旅の後の疲れのような感覚も残った。

前回あげた、HALが反乱した理由についてもすんなりと解き明かされていた。

前回の記事

アナロジーの話:
 猿人が投げ上げた骨が宇宙船に切り替わるカット。骨という道具、武器を使って猿人は飛躍的な進化を遂げた。宇宙船という手段を使って現人類は飛躍的に進歩した。
 宇宙船に乗った人類が未知の世界へ探検して素晴らしいものに生まれ変わる。精子に含まれた遺伝子が本能に従って探検し、これもまた素晴らしい胎児へと生まれ変わる。
 自らを信じるものが自らの存在を否定され危害を加えられそうになり、その予防に動く。人も人工知能も。
 スペースポッドが衛星を回り、衛星が惑星を周り、惑星が恒星を周り、恒星が、、、、


タグ:映画

1月9日 やっぱり春 [2022年 日記]

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ここのところ晴れの天気が続いている。昼間に風のない日に庭に出ると日差しで暖かく感じる。
まだ冬至の一番弱い日差しの日から1ヶ月も経っていないというのに、光に力強さを感じる。鈍感な人間でそうなのだからそれを心待ちにしている植物や樹々はなおさらわかっているだろう。

そう、来たる春の生命力爆発へ向けて準備をしておかなければならないのだ。枯れた枝の先に新芽のエネルギーを蓄え、土の中の根の隅々に目を覚ます用意をさせておくのだ。

人間が植物を見習うとすれば、閉じこもって動かなかった日々を改め、暖かい日には身体を動かしたり、じっと沈殿してしまっていた思考回路に刺激を故意に与えたりする、などか。

1月5日 映画「2001年 宇宙の旅」 [2022年 日記]

人生に影響を及ぼすような映画と言うとおおげさかもしれないが、思春期に見て衝撃を受け、そのまま何十年も時々思い出すのだから間違いでもない。そして世間の評価もそうだ。

最初に見た時はおそらく相当間延びした映画だなと思いながらなんとなく見始めて、だんだんと引き込まれ、ラストで呆然となっていただろう。横で見ていた父も感銘を受けた様子だった。セリフのないシーンが長々と続くのも2度目以降は気にならなくなった。むしろそれあってのストーリーなのだから。

同じような事が映像にも言える。ラストのめくるめく極彩色の連続がハッと途切れるとモノクロの固定画角に移る構成。音声にも。ポッドが登場人物を殺すシーンは無音だ。余計な音楽や効果音はない。音のない宇宙空間の怖さを想起させる。

監督のひとつひとつのこだわりの集大成と原作のストーリー自体が組み合わさって、見る人の心を動かす。

今回見て初めて湧いた疑問は、なぜHALは乗員を殺そうとしたか、だ。直接的には自分の判断ミスから自分を守るためだが、それならなぜ判断ミスをしたのか。本当にAE-35ユニットが壊れそうならほっておいても自分の判断の正しさが証明されるから故意にそう判断したことになる。ならば乗員を殺すため?乗員が後で知るはずの極秘ミッションを知ったら不都合なことでもあるのか?地上の科学者たちはHALに本当のミッションである木星探査の事を既に教えている。乗員と一緒に探査するのではいけないのか。おそらくどこかに答えはあるがしばらくそのまま放っておくのもいいだろう。

木星に到達したボーマンがポッドで無限の彼方に向かうシーン。急速に老けていくので超強力重力場か何かを描いているのだろうとは思っていた。でも説明は要らないかもしれない。どこかに向かったのだ。そしてその後の地上シーン、海上シーン、サブリミナル的にはさまれるボーマンのゆがんだ表情。さらに続く輝き拡がる星間物質のようなシーンには一瞬、精子が母体の中を突き進んでいるように見えるのも発見したがそれは読みすぎか、など考えるのもまた楽しい。

何度もの鑑賞に耐える映画。言葉で解説をいちいちしない余白の広さが嬉しい。映像の解釈には尤度があるのだから。

無機的な部屋で一人寂しくナイフとフォークで食事をしている時に金属音が響くと、かなりの割合でこの映画を思い出す。
タグ:映画
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