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1月5日 映画「2001年 宇宙の旅」 [2022年 日記]

人生に影響を及ぼすような映画と言うとおおげさかもしれないが、思春期に見て衝撃を受け、そのまま何十年も時々思い出すのだから間違いでもない。そして世間の評価もそうだ。

最初に見た時はおそらく相当間延びした映画だなと思いながらなんとなく見始めて、だんだんと引き込まれ、ラストで呆然となっていただろう。横で見ていた父も感銘を受けた様子だった。セリフのないシーンが長々と続くのも2度目以降は気にならなくなった。むしろそれあってのストーリーなのだから。

同じような事が映像にも言える。ラストのめくるめく極彩色の連続がハッと途切れるとモノクロの固定画角に移る構成。音声にも。ポッドが登場人物を殺すシーンは無音だ。余計な音楽や効果音はない。音のない宇宙空間の怖さを想起させる。

監督のひとつひとつのこだわりの集大成と原作のストーリー自体が組み合わさって、見る人の心を動かす。

今回見て初めて湧いた疑問は、なぜHALは乗員を殺そうとしたか、だ。直接的には自分の判断ミスから自分を守るためだが、それならなぜ判断ミスをしたのか。本当にAE-35ユニットが壊れそうならほっておいても自分の判断の正しさが証明されるから故意にそう判断したことになる。ならば乗員を殺すため?乗員が後で知るはずの極秘ミッションを知ったら不都合なことでもあるのか?地上の科学者たちはHALに本当のミッションである木星探査の事を既に教えている。乗員と一緒に探査するのではいけないのか。おそらくどこかに答えはあるがしばらくそのまま放っておくのもいいだろう。

木星に到達したボーマンがポッドで無限の彼方に向かうシーン。急速に老けていくので超強力重力場か何かを描いているのだろうとは思っていた。でも説明は要らないかもしれない。どこかに向かったのだ。そしてその後の地上シーン、海上シーン、サブリミナル的にはさまれるボーマンのゆがんだ表情。さらに続く輝き拡がる星間物質のようなシーンには一瞬、精子が母体の中を突き進んでいるように見えるのも発見したがそれは読みすぎか、など考えるのもまた楽しい。

何度もの鑑賞に耐える映画。言葉で解説をいちいちしない余白の広さが嬉しい。映像の解釈には尤度があるのだから。

無機的な部屋で一人寂しくナイフとフォークで食事をしている時に金属音が響くと、かなりの割合でこの映画を思い出す。
タグ:映画
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