「何者かになれなくても、私たちには生きる意味がある」
就職を前にして気負っていた頃の自分が、ある人から聞かされた言葉と重なる。

「誰かのために何かをしたい」若者に原作者が違和感を覚えたところからはじまり、河瀬監督がハンセン病とからめて、味わい深い作品になっている。主演2人もこのうえなく渋い。(元?)患者役の両女優が、その後ほどなくして亡くなっていることを考え合わせて見るとさらにだ。

熊本にもハンセン病の人たちが住む施設がある。外を通ると静かで樹木がさやさやとそよぎ、この映画の風景そのままだ。施設の中も風が樹々をゆらしていることだろう。

何事かを成し遂げていないとは言えないだろう樹木希林さんが、この映画のプロモーションに精力的にかかわったエピソードを聞くにつけ、弱者へのやさしいまなざしを持った人だった事がうかがえる。そうなったのは自分の寿命が終盤にさしかかった事を自覚したからだろうか。フニフニと唄っていた頃から、好きでも嫌いでもない女優さんぐらいにしか認識してなかった無知な自分ではあるが、そうではないとなぜかはっきり感じる。