新聞記事の見出しは、よほどうまくつけないと何を言ってるのかさっぱり一目でつかめなくなってしまうことがある。

この記事(熊本日々新聞2013年元日)のタイトルは「再生エネ地産地消」。内容はおそらく熊本県で発電した再生可能エネルギーを県内で消費しよう云々な話なのか?、と想像できるのでまだいい方。

今日見かけた、「基礎年金番号に性同一性障害が判別できる付番」のようなタイトルだとパッと見、すばらしい事なのか問題視されなければいけない事なのかが分からない。本文を読んでみてはじめて、差別につながる危険性がわかる。

とは言え、世の中ひとことで内容を説明できるような簡単な記事ばかりではないし意見の分かれるグレーなテーマならなおさら。

子供の頃に「新聞の番組欄以外やニュースの何が面白いの」と完全に思っていたのもそんな事が理由なんだろう。子供のまだ浅い社会経験からでは、言葉の意味自体が分からないに始まり、だから何なのという流れが分からない、大人なら分かる当たり前すぎる前提を知らない、プラス自分はこう思うがなあという参加感もない。


けれども、新聞の良さを再発見した。読んで楽しくなる記事が多いのだ。
花が咲いては喜び、バスでこんな親切を見たと伝え、新製品への期待を語り、ともすれば暗い気持ちに持っていかれそうな事件や事故ネタばかりではない、日常の小さな動きを共有できるのだ。これはテレビにもほのぼの映像などでだいぶ取り入れられているがまだ新聞の方が得意分野のようで。

だいぶ前に朝刊を取るのをやめたけれど、たまにはゆっくりとコーヒーでもすすりながら穴があくほど隅々まで読んでみたくなる。