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4月3日 ちょっとした春の嵐 [2024年 日記]

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昨日が桜の満開だった

今年のサクラは寒かったせいかドカッと来る見頃ではなく、じわじわ進んだ感じ
目をみはるようなサクラの樹にまだめぐり合っていないのが残念だがそんな年もある

今日は嵐のような突風が波のように吹き渡り、横なぐりの雨がときおりたたきつける

3月9日 弥生 [2024年 日記]

うららかで穏やかな陽射し
この季節はこんな日が幾度か訪れる

昼間の暖かさに油断していると夜にギュンとこごえそうになり、それが1ヶ月ほどするうちに少しずつ緩んでいく

何度経験しても「別れ」の季節は切ない

2月14日 山都町というか矢部が近くなった [2024年 日記]

2月11日に九州中央自動車道の一部区間が供用開始になった

これまで通行できていた嘉島ジャンクションから中島西インターの区間の先、山都町矢部までの山あいの区間が80キロで走れるようになった

先日さっそくバイクで通ってみた
早いのなんの

熊本市内から山都町矢部まで50分もかからずに着いた
熊本市内からだとはるか遠くの山なみに見える脊梁の山々も、矢部からはすぐ目の前に見える
実際、矢部の中で少し動いただけで矢筈岳や遠見山がグッと近づいてきた

昔は矢部、あるいは浜町、といえば熊本バスに延々と乗って南熊本から御船へ、そこからさらに深い山道に入り込み急な道をまた長いことバスに揺られてやっとたどり着く辺境の地、であった
半日はかかっていただろう

逆にそれが矢部の街を印象付けていた面もあるが、これからはたくさん人が訪れて活気があふれることになるのだろうか

社会は想像をはるかに超えるスピードで変わる

1月14日 映画「時計じかけのオレンジ」 [2024年 日記]

1972年
なぜこんなテーマの映画を作ろうと思ったのか、と言うよりもよくこんな映画を作ったなという感覚が近い

主人公や仲間によるクスリ使用シーン、暴力、セックス、非道徳行為の数々
けれど後半はそれをはるかに超えていやらしい
普通の人々、普通に見える人々がどれだけ残酷だか

主人公の母親は泣いてばかりで何もしない、父親はこれ以上ない優しい顔で、優しい喋り方で主人公の顔を覗き込む。その顔は、キングクリムゾンのアルバムに出てくる道化のように何かにこびへつらっている

冒頭の、主人公たちによる悪行三昧がかわいいものに思えてくるから、描き方とは恐ろしいものだ

主人公も、被害者である作家も、狂気の表情が過剰なほどの演技で、日本の映画やドラマの繊細な機微を表す演技とは大違いで面白いしいやでも目を引きつける
これらの役者が普段は普通の生活をしていることを想像すると演じるとはすごい技術だと思うし、映画とは面白いものだとつくづく感じる

「2001年宇宙の旅」のような、フィックスされたシーンの切り替えではなくドリーもズームも多用されていたのを見ると、自分の撮影スタイルに固定することなく、作品ごとに
最適な撮り方をする監督なのだろう

スタンリーキューブリックも既に亡くなっている、アーサーCクラークやアイザックアシモフも。カールセーガンやスティーブンホーキングもだ。偉大な先人たちにいろどられていた時代がひと昔前になっていきつつある。

タグ:映画

1月1日 映画「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」 [2024年 日記]

2007年製作

若かりし頃のオカン役の女優さんが、美しすぎるわけでも演技がうますぎるわけでもなく、むしろ素人っぽささえ感じるのに、なぜか存在感がある。それが樹木希林さんの絶妙な演技につながり、2時間半の長さをあまり感じさせない。

共演の役者陣も個性的なメンツが揃っている。

前半の時代設定がもろに昭和なので、それはそれは懐かしい風景や風俗が描かれていてよかった。ボタ山と煙突の広がる炭鉱町のロングもどうやって撮ったのかわからないが、印象的なシーンだった。

母と息子の関係、息子からすればこんな世界になるだろうな、と思わせる。リリーフランキーの自伝とのこと。
妻と夫との関係、息子と父親との関係。その片隅に男と女の関係。奇をてらった表現でもなく特に大きな事件が起こるでもなく、それが見終わったあとのじんわり感につながる。別の表現をすれば、時の流れ、を感じる。

自らのひどくプライペードな過去を世間に公表するのは相当勇気がいるのではなかろうか。
タグ:映画

12月14日 映画「ゼロの焦点」 [2023年 日記]

雪の日本海の荒波も充分に重い景色だがこの映画のテーマも重い

松本清張作ということで、砂の器を思い起こさせるようなシーンがあったり、その時代の社会背景とテーマが密接に結びついていたり
戦後まもなくの時代設定なのでなんとなく空気感くらいはわかるつもりだが、自分以降の世代だとなかなか現実の日本がたどってきた時代だと想像するのが難しいかもしれない

映画の中で何人も死んでいる。それぞれ強い思いがそうさせている。フィクションの世界で、思いの強さを表現するのに死を扱うのは理解できるが、本当の死はもっと違ったもののことが多いのではなかろうか、いや死には強い思いがついてくるものなのか。眠るように静かに行きたい自分としては気になる点だ

戦争が人々にもたらした莫大な負のエネルギーが、人々の人生に歪みを生み、それでもなお大きな流れに巻き込まれ次の明るい時代へ向かっていく、そんなことを感じた、と言えば素っ気なく聞こえるが

元パンパンの2人の演技も、周りの役も良かった。広末涼子の、華奢とはいえない体躯に若さを、木村多江には辛苦を感じさせる適役だったのだが、西島秀俊のマッチョぶりも意外だった

さてこの映画をどう我が身に反映すればいいのだろうか。そんな堅苦しいことを考えなくていい、楽しけりゃいいんだよという思考にどっぷり浸かりそうになった時に思い出す、世論が右に傾きだした時に思い出す、というのはすぐ浮かぶ。逆にこれを思い出した時がどんな時なのかも、割と自分の中では興味深い

2009年製作

タグ:映画

11月30日 映画「プロメテウス」 [2023年 日記]

かなり面白かった
最近のSF映画に多い、作り込まれてて何度も見なければ理解できないような凝った構成ではなく、
ファーストコンタクトもの映画の基本的な筋書きに沿っているので明快だ
「エイリアン」を知っているからそう思う部分も多いかもしれない

ところどころ「エイリアン」の原点だぞというシーンがやや露骨過ぎるシーンもあるが、それを補って余りあるストーリー展開だった

ただ、最初の原始人類?が滝の上で砕け散るシーンの意味するところがまだ理解できていないが、それをあれこれ想像するのもこれからの楽しみだ

2012年製作だから「エイリアン」からは30年以上経っている。リドリースコットが大監督となり時が経ち、周囲からの前日譚製作の要望を聞いて撮ったのだろうかなどと考えながら観た

主役の女性博士は初見だったがちょっとシガニーウィーバーに似てないこともない。ハードな役どころをしっかりこなしている
ロボットのデイビッドが首を引きちぎられるのにはまたか、との既視感もあったが最後までいい役なのか悪役なのかわからないところがよかった。その点では前半に出てきた社会的でない地質学者もそうだし、それよりなにより、原始人類?でさえそうだ

デイビッドとロボットといえば「2001年宇宙の旅」を思い出してしまうがそんな意図もあるかもしれない

「エンジニア」は何かを作る人、ならば我々人類を作った存在を「エンジニア」と呼べるのも確かに。
安易に神と呼ばないがゆえに「会う」ことができる夢をみせてくれる
それに、「エンジニア」が我々を作ったのに破壊しようとするのはなぜか、という哲学的なテーマも提供してくれるサービスまでついている

さらに言えば、どこかにあった2機目の宇宙船で彼らの母星へ旅立つ主人公のその後は?想像すると楽しいしわくわくする

タグ:映画

11月29日 ジョギング、温泉、サウナ [2023年 日記]

訳あってしばらく足が遠のいていた温泉タイム、最近あらためてその良さを感じている。

お湯に浸かって温まり全身の血行が良くなる、身につけているものもなく暑くも寒くもなく、じっと意識に集中する。まるで座禅のようだ。

多少の憂いならこれで流れていくし、前向きに考えられるこの時間を落ち着いて過ごせば
大きめの悩みも軽快する方向へ傾く

心配ごとで刻まれがちな眉間のシワも、のばさなきゃなと思える

白川沿いの畑作地帯を軽くジョギング、5.3km、41分、キロ7分40秒
おなかまわりの脂肪がステップのたびに揺れる

夕暮れの時間帯、犬の散歩をする人の表情もわからなくなる暗さになるまで走った。

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11月20日 映画「バグダッド カフェ」 [2023年 日記]

何十年ぶりかに見たので、前回の記憶はほとんどない。

1987年製作、36年も昔の映画か、しかし今の風景と言われても納得しそうな自分は時代遅れか。

見た直後にこれを書いているのでどうしても最後のシーンが印象に強く残ってしまう。

なぜブレンダ?と誰もが思うだろう
男女の恋愛よりも大切な友情を強調したかったのか

その少し前に、帰ってきた夫とブレンダが抱擁するシーンは、では何なのか
この夫婦の婚姻関係はどう考えても続くと考えられる

ジャスミンは冗談で言ったのか
ビザが切れたらまたドイツに帰るつもりなのか

そうか、人々の心に優しさが戻ったからもう自分は引き下がるつもりなのかもしれない
ではなぜ彼女はここに留まって人々から優しさを引き出そうとしたのか

すさんだ自分の夫婦関係に、自分が嫌になっていた
そんな自分を救うためでもあった
というのはどうかな

p.s.
大きな見間違いをしていた
最後のセリフは「ブレンダと相談するわ」だった
「ブレンダと結婚するわ」と勘違い

いかにアメリカが人権について進んでいても、この時代に同性結婚はまだなかろう

むむむ、とすると割とハッピーな終わり方
ルディよ、これが男女関係の辛辣さだ、と思っていたのはいずこへ解消すればいいのやら


タグ:映画

10月4日 ブログ「ファウンデーション」を作成 [2023年 日記]

新しく、ブログ「ファウンデーション」を作成した

これはアイザック・アシモフ著のSF小説「ファウンデーション」の3部作の人物相関図を公開するために作ったもので、細かい修正があれば改版していくつもり

ことの発端はAppleTVでオリジナルドラマ「ファウンデーション」を見て感動したこと、その後また原作を読んで理解が深まったこと、それらを踏まえて多数の登場人物の相関図を作りたくなったこと、という流れ

原作を再度読んでみて、ドラマ版ではストーリーや登場人物がかなり変更されていることに気づいた
これはどちらがいいというものでもなく、ベースが共通な2種類の物語とでも解釈しておけばいいのではなかろうか

ドラマでは視覚に訴える格好良さや没入感が楽しめ、小説では自分の想像力を広げられる自由さを与えられた

この素晴らしい作品を残してくれたアイザック・アシモフ氏、および出版やドラマ関係者の方々に感謝したい

10月3日 乗り換え [2023年 日記]

この季節のカマキリを見かけると哀しさにおそわれる

鋭いカマとにらみつける眼力の、夏のギラギラした攻撃性はなりをひそめ、移動するのにもやっとのような弱々しさ
けれども身体は初夏より一段と大きくなっている、と言うか、ふやけている

子孫を残して、自分の生命の中でやらなければならないことは、終わった

子が親を見る視線もそんなものかと思う
自分を育て終わって、あとは老いていくばかりの親
ごはんを食べてダラダラと過ごし生産的なことはせず、何のために生きているのだろう、と
子には、親が子育てにいちばん奮闘していた頃の記憶は無いのだからしかたない

子孫を残して大きくしたのだから、やらなければならないことは、もう、終わった
古代から未来へ連綿と続く遺伝子の乗り物が別のものに乗り換えられるだけだ


9月21日 朝晩は過ごしやすく [2023年 日記]

今日の雨の後、吹く風が涼しく感じられた。今シーズン初めてだ。

熊本市では藤崎宮のお祭りが終われば、例年そうなる時期なのだが今年は数日だけ遅れた。
大きな台風も今のところ今年は来ておらず、真夏の暑さが際立っていた。

年齢を重ねると懐が広くなっていろいろな事が受け入れられるようになると思っていたが、
こと身体は懐が広くなってはいない。年々暑さに閉口するばかり。

8月24日 映画「地獄の黙示録」 [2023年 日記]

どうやら自分はマーロンブランドの演技が、たたずまいが好物のようだ。

コッポラ監督とマーロンブランドの映画「ゴッドファーザー」に感動したのも記憶に新しい。
この映画、出ている役者も知らずに見始めた。
あごが割れてないがなー、と思いつつチャーリーシーンの名前を思い出しつつ、
あっ、イージーライダーの彼だ!とか、
このサーフィン付きの軍曹はどこかで見たことあるなとか、

ベトナム戦争ものの映画はある程度の数を見てきたけれど、幸いというか
戦闘シーンそのものを見せ場にあげているような映画にはまだ当たっていない

フランス人のプランテーションとベトナム戦争当事者との関わりも初めて見る気がする。

マーロンブランドの話に戻ると、役として出てくるのは映画の後半もだいぶ過ぎた頃、
まあ、写真では冒頭から出ているのでくるぞくるぞという感じ

スキンヘッドに絶妙な照明で、表情のごく一部しか見えないのもいい演出

あのエピソードはどんな意味を持つのか、何を語っているのか、
あとあとまで頭に浮かんでくるシーンが多いというのは、いい映画だったという証だろう


タグ:映画

8月14日 雑草との戦い [2023年 日記]

今年の家庭菜園はなんとか夏野菜が獲れている。
おととしまでは苗を植えても根付きさえせず、枯らすだけの虚しい繰り返しだった。
ハマスゲという球根で広がる雑草が一面にはばをきかせているので、それが原因なのはほぼ確定だったが、その対策をどうすればいいかがわからなかった。春先から手で抜くという地道な作業を何年も続けてきたが夏にはとても追いつかず、身体も疲れるしで秋にはかなりの量がはびこり、従って球根が栄養を溜め込むという一年の繰り返し。

去年、ビニールマルチで覆ったら勢力が弱まるのではないか、と実行してみたら効果抜群だった。
隙間に生えたり、ビニールを突き破って出てくる個体もわずかにいるが、一大勢力の勢いを削いだのは間違いない。今年もマルチを張ったが、土が出ているところにもあまり生えてこず、植えた野菜は元気とは言えないものの、なんとか成長して実をつけてくれる株もある。トマト、オクラがいい。以前からあるブルーベリーの収穫量がはんぱなく多いのも雑草の勢いが弱まったからなのだろうか。

環境にはやさしくないビニール製品を使い捨てすることには、けれども気がひける。

ハマスゲとの戦いはまだ続きそうだ。

7月8日 大量のブルーベリーが獲れた [2023年 日記]

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今日は大雨の予報ながらそう雨は降らず、強い風が吹き荒れているおかげで蚊に刺される心配がない絶好の畑仕事日和だ。トマトの整枝やら雑草取りやら苗の誘引とともに、ブルーベリーの収穫をした。

庭のブルーベリーは2株

このところは毎日獲って生食しても食べきれないくらい大量に獲れ始めていた。今日もボウルいっぱいの収穫でうれしい悲鳴

ジャムでも作ることにしようか


7月1日 映画「博士の異常な愛情」 [2023年 日記]

今年も半分を過ぎ後半に入った

スタンリーキューブリック監督作ということで見てみた
副題は、または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか

結果、ストーリーは頭に入ったものの、テーマだとか題名だとかよくわからない部分も多かった
キャスティングは良かったがピーターセラーズだとどうしてもピンクパンサーのイメージが頭から離れない。ピンクパンサーよりもこの映画が早いかな?

と、調べてみてビックリ

かなり驚いた

ひとり3役?しかも主役級の大統領も博士も!

やられた

いやもしかするとこの俳優のうまさを見せるための映画だと思えなくもなくなってきた
少なくとも見どころの大きなひとつだ
3人の全く異なる性格を見事に演じ分けている

ブラックコメディというジャンルに分けられているが、笑うような内容ではとてもなくシニカルで、あるかもなと思わせる状況が多々

この映画で何を言いたかったのか、東西冷戦の当時ならわかっただろうか

タグ:映画

6月24日 夏至を過ぎて [2023年 日記]

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なぜかトラックアプリが保存してくれていなかったので、帰ってから走ったルートを引いてみた。

四季の里旭志近くから林道を北へ往復。

7km,1時間、キロ8分30秒。なかなか暑くて汗がだらだら。熱中症の心配もした。
太陽は雲に遮られてはいたものの流石に夏至の高さから照らされると暑い。おまけに小さな虫が顔のまわりを飛び交ってうっとうしい。鞍岳の中腹をトラバースする車道なので熊本平野方面の景色が良さそうなものだが、意外に木や草で展望がない。

けれどところどころに鮮やかな青のアジサイが咲いていて楽しませてくれた。

倒れずに出発点まで戻れそうな地点で折り返し、来た道を戻る。100m近く下ってきたので帰りは上りだ。車の往来は極端に少なくて走りやすかった。1時間で車2台とバイク3台グループとすれ違ったのみ。

車に戻るとアイスクリーム目指してすぐに走り出し、無事に旭志のコンビニでおいしいクッキーバーにありつけた。めでたし。

これからの季節、暑くてなかなか走るには厳しくなっていく。が、それも9月頃までの3ヶ月くらい。

6月4日 島原半島を一周 [2023年 日記]

いつも手近なショートトリップには東の阿蘇方面へ行くが、今日は趣向を変えて西の島原へ行ってみた
島原半島を一周グルッと巡った

道すがらの看板にわからない単語があったり、畑の畝に石積みが多かったり、そもそも土の色が赤っぽかったり、やはりいつもと違う土地は刺激がある

島原港からは、晴れた夕空にシルエットで眉山が迫っている
フェリーが動き出して海に出ると、その背後から雲仙普賢岳がヌッと異様な山容を現してくる
平成の大噴火前の雲仙は穏やかな丸い山容をしていた
熊本県のどこから見ても今のような尖った山頂の形ではなかった

コピー用紙を当てたらスパッと切れそうな普賢岳のてっぺん
見ようによっては地獄絵図に描かれた針の山のようにも見える
極めて特徴的だ

尖った山といえば阿蘇の根子岳が浮かぶがそれよりも鋭角的だ
フィッツロイかミディかという鋭さだ、最上部だけだが

なぜこんなに尖った形に目を惹かれるのだろうと考えた時、それは国内の山では珍しいからだと気づく
多くの山は大昔に山体を形成しているのでそれからの長い年月、風化にさらされて多かれ少なかれ丸みを帯びた形をしている
たとえ尖った山でも究極のてっぺんはやはりいくぶん削られているし、人が立てるようにそうされているとも言える

雲仙普賢岳はそれらとは違い、風化の影響はほぼ無く、人ももちろん近づけない
だから自然が作った形を生々しくさらしている

何十人もの命を奪ったあの事故も、眺めるときにはどうしても思い出してしまい、
住んでいる人には申し訳ないが恐ろしい山に、今は見える

5月30日 梅雨入り [2023年 日記]

先日、梅雨入りした

予想外に早くて、と言うか梅雨入りの到来を意識していなかった。うららかな春を楽しみそびれた気がする。毎年そんなもんだ

雨がずっと降らず乾いた土ぼこりが少々うらめしくなってきていたところに、水分がキューンとしみていく

軒裏を伝う雨のしずくを見ていると、生物の起源となった水というものに親しみを感じる
そこから生物が生まれてきた母体、水
宇宙のごくごく一部にしか存在しない成分

おそらくあと1週間もすれば、もう雨うんざりと思っていそう

5月23日 音楽の好み [2023年 日記]

動画サイトで、毎月のナンバーワンヒット曲を1980年から近頃まで連続でまとめたものを見た。
毎月1曲で年に12曲、それが40年として500曲近くになる。もちろん1曲1曲はごく短く編集されていて、全体で50分だから1曲あたり6秒くらいになる。アメリカのヒットチャートだろうか。

最初の1980年代はほとんど知ってる曲ばかり、懐かしさで思わず引き込まれてしまって、なんとなく最後まで見ることになったのだが、驚いたのは1997年頃を境にまったく知らない曲ばかりになったこと。はっきりと。

理由については一身上の変化に覚えはあるもののそれだけではない。
単に、昔の曲は良かったと言って終わるものでもない。

時代だと言ってしまえばそれだけだが、なにか音楽を作る、歌う、奏でる人たちの表現したいことが変わってきたのではないかと思う。だから表現方法も自然に変わるし、従って聞き手の取り方も変わる。

歌という一面だけでそうなのなら、世代の変化というのはとても大きなうねりだ、少しずつ変わるから変わっていることに気づきにくいけれど。まるで大河の流れの狭い範囲を見ていると大きな流れに気づかないように。毎日会っている人の変化は気づきにくく、久しぶりにあった人はすぐ気づくように。

先日は運動公園を2周と少しで4kmのジョギング。キロ7分。まだひどい暑さではなく、夕方には涼しい風も通り、気持ちよく走ることができる。


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